多くの人々が犠牲となったコロナ禍は急速に過去の記憶となりつつある。移動や行動の制限も無くなり、外国との往来も自由になったことは喜ばしい。しかし、コロナ禍が齎した様々な疑問や歪みは結局何一つ解決されないまま、ポストコロナ禍に向けて人々は皆、寧ろ敢えて不都合な事実や記憶からは目を逸らそうとしている様に感じる。
コロナ禍において私は、何よりも「生命とは何か」という疑問を改めて突きつけられた思いがした。それは人間の命や人生、存在についての問いかけという抽象的な意味ではなく、文字通り「生命」そのものの定義についての疑問だった。改めて言うまでもないが、細胞を持たず、遺伝情報だけが存在するウイルスを生命と見做すかどうかは専門家の間でも判断が分かれている。細胞を持たないウイルスは「生きている」訳ではないから「殺す」事はできない。従って、細胞を持つ細菌を「殺菌」するように「殺ウイルス」するとは言わず、「消毒」すると言う。コロナ禍初期に報道などで見られたそれらの語句の誤用はすぐに減り、ウイルスを非生物と扱う様に統一された。しかし、厳密に生命の定義が決まったわけでは無い。まるで意思を持っているかの様に変異を繰り返し、増殖し、多くの命を奪う。本当に細胞がないだけで、ウイルスは生命ではないと断定していいのだろうか。
疫病の流行から政治や経済が不安定となり、戦争へと至る流れは、これまで人間の歴史の中で何度も繰り返されているが、今回も完全に同様の事が起こっている。ウクライナやパレスチナはじめ世界各地で続く戦いでは、ドローンやAIの活用が急速に進んでいる。コロナ禍や戦争によって、今後医療技術もますます進歩するだろう。ドローンやAIが進歩し、いずれ人間の身体の一部を機械に置き換えたサイボーグやアンドロイドが現実になれば、かつて日本の近未来SFマンガ「攻殻機動隊」に描かれたような、生命の定義とは何か、というテーマ ―仮に生命の遺伝情報の特徴が自己模倣と突然変異なら、将来的に同じような特徴を持ったプログラムがコンピュータ上に出現した場合、それを生命ではないと断定できるだろうか?という問いも、フィクションではなく現実的な問題となる可能性がある。
私のキャリアの基礎である日本のマンガでは、「攻殻機動隊」や「火の鳥」などの例を持ち出すまでもなく、「生命とは何か」という問いが繰り返し描かれてきた。ミッキーマウスのような不死のキャラクターではなく、作中で血を流し時に命を落とすキャラクターは、手塚治虫の戦争体験などから生まれたとも言われているが、日本のマンガの特徴の一つでもある。しかし考えてみれば、古今東西全ての芸術作品は、この「生命とは何か」という問い、生と死というテーマを巡って作られてきたと言えるかもしれない。ヨーロッパの教会にはキリストが処刑され、復活する場面の絵画が溢れている。日本でも仏像や仏画により死後の極楽浄土が描かれ、それと対比する現世の苦難や栄枯が描かれてきた。そして江戸時代に浮世絵が隆盛を極める一方、民間に広く知られた仏画として「九相図」があった。
「九相図」は死後の肉体が崩壊し土に還るまでの場面を9段階に分けて描いたもので、いくつかの仏典を根拠とし、中国絵画にルーツがある。仏画としては珍しく女性がモチーフとして描かれる事が多く、日本では伝説的な美女・小野小町の物語と混交した作例も多い。
鎌倉時代から江戸時代にかけて盛んに描かれたが、明治期以降の作例は非常に少ない。絵巻物として、9枚同サイズの絵が連続して描かれた作例が多く現存するが、「醍醐寺新要録」などの文献上には寺院のお堂の外壁に描かれたという記録も見られる。建物の外壁に描かれた九相図壁画の作例は風雨に晒され現存しない。しかし、お堂の中を死後の世界、お堂の外を現世と見做せば、その境界に朽ちゆく肉体の、生から死への移り変わりが九相図壁画として描かれたのは理に適っている。
ウイルスについての研究が進み、あるいは人体の機械化やAIの発達により「生命とは何か」の定義が揺らぐ中で、私は日本のマンガ家というルーツを持つ画家として、今こそ新時代の九相図を描くべきだと考えた。私が描く九相図では、身体の一部あるいは殆どが機械で構成された花魁が、次第に分解されていく。彼女は元々生命を持つ人間の身体が機械化された様にも、元々生命を持たないロボットの様にも見えるだろう。20世紀末に描かれたSFマンガから細部のディティールを多く引用している。様々な要素の混成であることを示すため、現存しない九相図壁画を念頭に、絵巻物の9枚同サイズのフォーマットに捉われず、敢えてサイズや額装・表装も不統一とした。着物の柄や身体の崩れ方に統一性がないのは、九相図が連続した絵ではなく、それぞれ独立した絵を別個に観想し修行に用いたという、「妙法蓮華経玄義」の記述に基づいた、過去の九相図にしばしば見られる作法に則っている。
私はウイルスが消滅したわけでもなく、戦争などコロナ禍による世界の歪みも変わらず存在する中で、それらから目を逸らし、ただコロナ禍後の交流や経済の復活に湧き立つような絵を描きたくなかった。キリスト教の絵画においても、復活の場面の前に必ず磔刑図があるように、再生の喜びを描く前にまず死と向かい合い描くのが現在を生きる画家として誠実な姿勢ではないかと考えた。生命と非生命の境界が揺らぎ、歴史のパラダイムシフトが進む中で、さらに西洋と日本、過去と未来など、対立する価値観を繋ぐ存在としての九相図を目指したい。
以下、展示概要となります。
会期: 2024年9月28日 – 10月20日
時間: 11:00〜19:00(最終日のみ17:00まで)
休館日: 月曜、火曜、祝日
レセプションパーティー: 9月28日 17:00 – 20:00
(入場無料/どなたでもお気軽にお越しください)
会場: エンパシーギャラリー
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前3丁目21-21 ARISTO原宿2階